
綾舟
書の歴史
日本には、中国から学んだ古典と1400年もの間続いてきた独自の古典があります。その代表が三筆(空海、嵯峨天皇、橘逸勢)です。
現代日常的に使われる漢字の形ができたのは、中国で紀元3世紀頃です。4世紀には有名な王羲之が現れました。日本の書の最初の隆盛は8世紀です。その後、遣唐使を廃止したことによって、国風文化が起こります。仮名文字の発明です。和風の美の探求が一挙に始まりました。
和歌や俳句による日本の耽美的な世界は現代まで続きます。その傍ら、漢詩による感情表現も明治時代まで日本文化の土台となっていました。漢字書も連綿と続いてきたのですが、20世紀、上田桑鳩の出現によって書表現の新たな時代が始まりました。漢字の形に捉われない自己表現。古典を元に文字性を破って出現するものを追求しています。それを抽象書、墨象書と呼びます。
そうしたジャンルも含めて書の表現の広がりを見ていきたいわたしがいます。
書について
書は生命力につながっています。
そして書は自分自身だと思います。書は「人となりを表す」と言います。わたしたちが持っている喜び、悲しみ、楽しみ、憂いなど、あらゆる感情を表します。書で大切にしたいのはリズムと体の動き、そして呼吸です。書を学び、表現する際には臨書を繰り返し、古典のもつリズムやニュアンスなどを自分のものにしていきます。自分の殻を破り、古典の豊さを感じられる時、自由を得ることができます。
日本には1000年以上にわたる書の伝統があり、空海をはじめとする三筆のような素晴らしい書家がいます。さらに、平安時代に確立された「かな」は茶の湯などと密接に関わり、「侘びさび」を表現してきました。
空海の描く書の線はまるでチェロによって奏でられる旋律のように深く強くそれでいて優しいリズムと流れがあります。また別の古代の書にはバイオリンのように消え入りそうでいて刺激的な線が。クラリネットの音色が聞こえてくる古典もあれば、ホルンが周りを包み込むように表現するかのような書もあります。
そんな書を描いていく。刻んでいこうとするのがわたしだなと思います。人がもつ全ての感情を表そうという芸術のジャンルに入るのもそれ故だと思うのです。
綺麗なものが良いのではなく、自分から現れる全てが愛おしく光を以て生きていく。そしてどのような人にもその人独自の個性と豊さを感じていきたい。もちろん、その反対になる時もあるでしょう。それもわたしです。
だからこそ、そのような作品をわたしは作っていきたい。
淡墨は数え切れないほどの色があり、作品に豊かな表現を与えてくれます。紙と墨との合作です。そんな出会いが素晴らしい。そこではわたしは主役ではありません。また、西洋の絵画を見るとき、そこにある変幻自在な色と人の苦悩を表した光。そのような光を宿す作品もまた書にあってもいいのではないかとわたしは思っています。そのようなものを紙と墨により表現したいと思っています。
わたしはクラシック音楽、バレエ、絵画が好きです。どの芸術表現も流れであり、リズムであり、呼吸です。それは線となって溢れ出し、わたしの命に、ある微妙な揺らぎと味わいをもたらします。それがわたしの書作品に一本の線となって現れてきます。
これから、どんなふうに創作をしていけるのか、ワクワクします。
いろんなものに出会いたい。今まで出会ったいろんなものを表したい。
それがわたしです。